今日、交換留学生の2人が帰国しました。
教授会の前に、キャンパス内にある泉女子寮へ行き、国際交流課の職員と一緒に見送ってきました。
これで韓国からの交換留学生は全て帰国したことになります。
韓国からの交換留学生は、毎年高い日本語力を有しているため、できればそのまま日本で就職してくれたらいいのになぁ、、、、、といつも密かに願っています。
が、4月に来日してからすぐ就職活動を始めるというわけにもいかないですし、そもそも4月から動いても遅い場合も多いですし、、、、
交換留学中に就職まで決めるなんてことは、なかなかの離れ業ですから、仕方ないですよね。f(^_^;)
できれば、うちの大学の職員に1人くらい就職してくれればいいんですが。
(そして、できれば国際交流課に配属して..........なんてね。)
見送りを済ませた後、教授会へ。
この時期にしては議案が多く、昼食の時間をかるくオーバー。
研究室に戻って、2時間おくれの昼食をとったあとは、ひたすら後期試験の採点です。
B4用紙いっぱいに書かれた解答を読んでいると、どうしても問題の趣旨とは異なる点が気になってしまいます。
それは、論述のし方です。
論述問題なので、解答用紙に書いてある内容の正しさだけを客観的に点数化することが難しい。
これは不可避の事実。
だから、論述のし方が悪い答案と良い答案では、どうしても後者の方が点数が高くなってしまう。
「~~について論じなさい」という設問なので、論じ方の善し悪しも得点を左右するするわけです。
それも、かなり大きく左右します。
でも、論述の訓練って、日本の国語教育ではほとんど重視されていないんですよねぇ。
その理由は火を見るより明らかで、国語教育(だけではなくてほとんど全ての科目)が受験のための科目になっているからです。
とくに受験の親玉であるセンター試験は、全てマークセンス方式なので、文章を書く(=論述する)力はまったく蚊帳の外なわけです。
ですが、こういった論述の力は、全ての学問の基礎になる力なんですから、どうにかしてしっかりと育成するシステムを構築しないといけないんですけどねぇ.........
現代の子どもは、(私もそうだったかもしれませんが)どうも細切れの断片的な知識を片っ端から暗記するだけの勉強をしているような気がしますね。
今日採点していた試験は、「日本の言語文化論」という講義なのですが、この授業では、いろいろな事例や概念を紹介しながら、ある結論に達する(日本文化の特徴をまとめる)という帰納法的な流れを重視しているんですが、学生の答案を読んでいると、それらの結論に相当する部分(だけ)をあたかも所与の事実であったかのように書いてある文章が多いことに気づきます。
確かに結論に相当する部分は重要ですが、そこを覚えるだけが大学での勉強ではないと思うのです。
いろいろな事実を冷静に分析し、そこから突破口(結論、解決策など)を見いだす力を身につけてほしいのです。
少なくとも教養学部では、現代社会の諸問題に立ち向かい、それを乗り越えていくだけの力を身につけることを目標にしています。
算数の問題に喩えるなら、問題集に載っている問題の答えだけを暗記するような勉強法ではなく、どうやったらその答えに辿り着くのかを理解し、それを他者にも説明できるようになることを目標とした勉強をしてほしいんです。
でなければ、穴の空いた樽にせっせとワインを詰めるくらい虚しい徒労になってしまいます。
しかし、こんなことを偉そうに語っている僕ですら、そんなことを学生のときに言われてもなかなか理解できなかったかもしれません。
これを実感してもらうには、他人から教えてモラウばかりではなく、自分が他人に教えるという経験をしてもらうのが一番かな、、、、と思う今日この頃です。
戦争で経験した苦しさと悲しさは、戦争を経験した人にしか分からない。
恋をしたときの心のトキメキは、恋をした人にしか分からない。
それと同じで、教師が感じていることを正確に理解するには、教師になってもらうしかない。
教えることを仕事にしている人間が、こんなこと言うのは卑怯ですかね(笑)
でも、同じようなことを、ちょっと違った視点から最近痛感しています。
それを句にしてみました。
「親になり はじめて分かる 親ごころ」
某日曜アニメの「友蔵 心の俳句」のコーナーで取り上げてくれないかなぁ、、、、(笑)
ちなみに、しょーもないだじゃれバージョンもあります。
「親になり おや?と気づく 親ごころ」
さて、場の空気も私の頭も冷えたところで、そろそろ採点作業に戻るとしますか。
最近のコメント